狂おしき祭り

ことしの夏がおわった。                              どうして、祭りはこんなにも切なく、胸をぐるぐるとかき混ぜられるのかなあ。

ニイガタの地元にも八坂神社があって、7月に祇園祭もある。              直江津(なおえつ)の人は、この祭りを大切に思っている人がたくさんいる。        ほとんど地元以外の人には知られていないかもしれないけど、浜の男や女がむちゃくちゃかっこいい祭りなの。

小学生から太鼓や笛で参加できて、お父さん世代や少し上のカッコイイお兄ちゃんや粋なお姉ちゃんたちと一体になって、ハチャメチャに声をだしながら、心の奥は切なさのような、表現しがたいキモチがあって、小さいころから、その2層を不思議なキモチで冷静に見ていたりした。

この切なさはなにを感じてのことなのか、なんとも表現できずにいたけど、38歳になった今年、おぼろげながら言葉にすることができたかもしれない。              たぶん、人間への愛ーーーーー☽♡☼

一緒に騒いでいるお父さんたちやお兄ちゃんお姉ちゃんたち、屋台の綱につかまる子供たち、練り歩いた屋台を出迎えてくれる町内の人たち、笛や太鼓の音を聞いて家から出てきてくれたおじいちゃんやおばあちゃんたち、途中で立ち寄る病院や施設で待っていてくれる人たち。そういう方たちが、全員愛しくなる。たまらん気持ちになる。生もだけど、この祭りの時は死もぐっと迫ってきて、去来する感情も空の色も、空気の匂いも、太鼓や笛の音色も、なにもかもの輪郭が色濃くて、圧倒されてしまう。38歳になってもそうなんやから、小さいころなんてたぶんもっとノックアウトされていた。祭りがおわってから数日は抜け殻になるのも仕方のないことよなあ。祭りは、音と人々の一体感で町を浄めながら、形にならないものを強烈に教えてくれていたんだ。


カモメとうみねこ

京都の西院にある オレンジ色のレンガの一軒家 小さなびようしつと 小さなタイマッサージのお店

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